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ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

21世紀にドラえもんの夢を見る

ふとしたタイミングで、20世紀によく読んでいたドラえもんの漫画を発見した。

こうやって文章に表してみると、なんだかんだで大人になったもんだと、しみじみ感じてしまう。

一昔前まで、やれ「のび太はほんまもんのあほだ」とか、「スネ夫はいやしい!」だとか、「ジャイアン実はいいやつ」だとか…とにかく"キャラクター"というものに偉く反応して、本質のところをあんまり見てなかったんじゃないかと電車に乗りながら気付いてしまった。

今日はそれについて少し考えてみる。


ドラえもんの登場人物は、実は"一人"だった?

前述の通り、僕は所謂カッコ付きの"キャラクター"というものに、これまで偉く反応してしまっていた気がする。

というよりも、すがるものがないから、どこかで身近な何かに自分を投影して満足しながら床につく。そんな生活を繰り返していたように思える。

頭がよくなればなるほど(話を進める上での言葉だが)、僕は常に鏡を探していた。
「はて、自分は何者だろうか?」という言葉がぐるぐる回り、鏡を見ては「ああ、よく見るとアレっぽい」と、言語化しては安心していた。

ただ、ここ最近のこと。
どうもこうも、自分の中の何かが発芽してきてしまい、なにを見てもどれをとっても、言い表す"キャラクター"がなくなってしまった。

そんなときの、コレ、だ。

お得意のハイエナのような笑いを鼻で発しながら、「タイトルの付け方がPRっぽいな」とか(次の記事はこれについて掘り下げよう)、「先読みの力半端ないな」とか。意外な気付きに触れる中で、もう一つの重大なことに気がついた。


「登場人物、一人じゃね?」


これは漫画だ。そう言ってしまえばおしまいだけど、これはものすごく大きな気付きだったのではないかと思っている。

みんな、それぞれのキャラクターがある。でも、どれをとってみても、そこには「自分」が見え隠れするのだ。


ぐーたらだけど、やるときゃやる。
スケベな気持ちもあるけど、友達思いで、でもやっぱりめんどくさがって放り投げちゃう。
自慢したいけど質実剛健に生きて、褒められれば謙遜する。
ヒーローになりたいけど、怖いもんもたくさんある。


そうそうそうそう。いるんだよ、こういうやつ。すごく、すごく身近にさ。
…あれ、これって俺じゃん。

という体験をしたわけで。

だから、なにが言いたいのかというと、結局どこをとってもそこには自分がいるわけで。総じて考えりゃ、"人は人"なのです。

「人という漢字は、人と人が支え合って…」みたいなのがあるけど、そうじゃない。歩いてたら「ああ、なんかぶつかっちゃった、道が」っていう、至極当然の話なんだ。

とても当たり前のことなんだけど、21世紀のドラえもんでそんなことを思った。


ともあれ、めんどくさい大人になってしまったもんだと、しみじみしながら風呂に入ろう。

おしまい