ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

だから、無理はしないの。

うし、やってやるぞ!」て思うことは、たいてい気がつかないうちにやめてしまっている。


2015年が始まってから、おそらく100個くらいは決意を固めてハチマキしめたんだけど、だいたい固結びの仕方間違えちゃってんのかな?すぐに解けて、歩いてきた軌跡つくっちゃいました、みたいになっている。


「おもろいやつになるぞ!」と思って雑誌を読み漁ろうと思い至ると、気がつけばゴロゴロ小説読んでいた。

「走るぞ!」なんて思っていたら、こっそり「歩くぞ!」に変わっていて。
「暑くて熱中症になったら大変。」と、体調管理上手なやつみたく振舞っていた。

いや、まあおもろい人になろうと思ってSafari読んでる場合じゃないんだけどね。
「ラーメンはもう食べないぞ!」ってのも、結局だめだった。食べちゃう。




こいつぁもう、観葉植物しかだめなんじゃねーの?なんて、今日もお気に入りのスーパー銭湯いって、がっつりサウナ4回入って考えていたけど、気がつけばもうそんな生活8年ぐらい続けている。

この差はなんなんだろう?と、寝湯でガチの眠りから覚めた時にふと思い至ったのは、「あ、もう無理したらいけんな自分」ということだった。



おそらく、フロイトとかも言っているんじゃないかなと思うけど、やっぱり無理はいけないんだよね。潜在意識的にもよくないと思うんだよね、やっぱり。


結局のところ、好きか嫌いかの話なわけで。
好きだったら気がついたら続いてるし、「続けなきゃ(迫真)」という思いは残念ながら継続とは程遠いのだ。
決意なんていらないんだよなあ、言わずもがな最初から決まっているんだから。


自分的にはわかりやすいのはスポーツなんだけど、別に続けなきゃと思ってやっていたことなんて一つもなかった。
好きだし、楽しいし、ある意味”普通”になったからやっていたし、ようはそういう無理をしない甘やかす気持ちなんじゃないかなと思った、大事なのは。


だから、なんかわからんけど急に意識高くなっちゃって、「どうしたんだよ!まだやれるだろ!諦めんなよ!」と不屈の魂を説く修造先生を尻目にやりながら、
「男なら、やってやれ!だ」マサルさんの永遠のゆるい鼓舞を忘れないようにしなきゃ、と26にしてふんどしを締めなおすわけです。
いいよね、最高の言葉だと思う。



さて、そんな僕が最近「やってやれ!」と鼻息荒くしているのは”糖質制限”です。
ジョコビッチの本とか読んだりして、絶対つづけるぞー!なんて思いながら、白米うまいうまい食い散らかしてきた13日の金曜日でした。

生きるって素晴らしいんだなあ。 

ジョコビッチの生まれ変わる食事

ジョコビッチの生まれ変わる食事

 

 今週のお題「私の流行語大賞」、おしまい