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ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

寝違えた首が一向に正されない

寝違えてから早3日目。

こういった類のものって大抵1日で治るもんだと思っていたのだけれど、もともと右を向きがちなのかどうも治りが悪いみたい。

体の衰えを感じることが多いここ最近は、気がつけばリビングで寝散らかしてしまい、やれトドがおるだのアザラシが寝よるだのと囃されながらもゴロンゴロンと寝返りを打つだけなのだ。

なんかこう、体がすごく休みのモードに入っている。
おそらく向こう何十年かはやってこないであろう約1ヶ月の夏休みを目前に、「整理をする」というなんとも曖昧で、しかしすごくもっともらしい目標を立てて余計な思考をシャットアウトしようとしていることが原因の一つかもしれない。
余計なことは考えない。ただ、砲丸のように重くなった自分の体を、輝かしい未来にぶん投げるだけでいい。
それでいいのだ。


そんなときにふと思い出すのは、いつも若さという言葉なのだけれど、この唐突な話題転換もやはり若さということなのだろうか。
でもいいや、ここでは自分がすべてのルールだから。

若さには、いつも前段がない。
前にも後ろにも、相関関係なんてなくてもいいのが若さの特権だと思う。

ピザが食べたいと言うことと、友達に感謝の言葉を述べるのとが、「それでね」という接続詞(?)で繋げて許されるのが"若さ"だ。

そういうことに違和感を覚えないし、覚えたところで関係ない。
ご存知であろうか、これが若者の全てなのだ。

世の中からすれば僕も大概くそ生意気な若者年齢な訳だけど、そんな僕から見ても「大変なこった」と思うやつらはたくさんいる。

前段がない、というか、前段を組み立てられない人が多いのか。
そういう人たちが書いた企画書を見るときには、どうしてこの話をしてるんだろう?と終始謎解きをする必要がある。

そういうときには大抵、「言いたいこと、わかるやろ?」精神がふんだんに盛り込まれているのだ。
読む相手、喋る相手に「お知恵を拝借」つって甘えくさるのが若者たちの性質だ。

なぜそんなことが起こるのかと言うと、もうそれはキレキレだから、としか言いようがない。
キレキレなのよ、若者は。

日本語なんて正しく使わなくても、ヨミの力がみんな備わっているから会話が成り立つ。
だから、懇切丁寧なブリーフなんて関係ない。

そんな人たちがうようよしているもんだから、なにかとコンフリクトが会社とかで生まれやすい。
こういう性質を理解していないと、まともに取り合いすぎておそらくノイローゼになる。
何回言ってもなにも変わらないから、うまくのせて転がすのが若者を扱うための最適手段なのだ。

もっとこう、若者についての啓蒙を、ケンタウロスみたいな中間世代がする必要があるとおもう。
擁護じゃなくて、ブラックボックスに明かりを照らすことで、うまいこといくように調整するのだ。
じゃないと、みんなアンハッピーで誰も得しなくなるから。


「調整」ね。
整理に次いですごく便利なことばだ。


さて、さっき食べたニンニク漬けが効き始めたから、そろそろ寝よう。
なんでかって、僕もまた"若さ"が溢れているから。
水でも飲むか。


若者は、前段がない。
我ながら、なかなか的を得てるんじゃなかろうか。

おしまい