読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

そして、仕事をやめる。序章 〜意図しない12連休を超えて、ついに玄関の向こう側へ〜

顔や体にブツブツが残る中、ついに家の外に出られることと相成る。

 

 

意図せず9日からおやすみをいただくことになり、大学生ぶりに一日中家にいてnews every.を見るという贅沢ぶりをかました。

もはや社会に復帰できるのであろうかと思いながらも、ここで働くのもあと1ヶ月と少しだと考えると、残すものを残して残さないものは残さず働こうと思う。

 

 

そう、わたくしはついに仕事をやめる決心をしたのだ。

今回は退職エントリうんぬんではないのですっきりとしておくが、入社以来の心のもやもやに対して決着をつけることにした。

もっと、現場に飛び込んでいくことを決心したのだ。

 

 

入社面接で社長から言われたことを「まあそんなもんか」、と流せたあの日。

いまの自分ならはっきり言える。

流したらだめだ、と。ぶつかって、追いかけて、納得いくように働け、と。

気が向いたら今度書こう。こういう言い訳をできるのが、「序章」という言葉のいいところなのだ。

 

 

今日は違うお話。

 

 

いろんなブログで「残業時間が100時間を超えて…」とか「いろんな役割をやって…」とか書かれているけど、それはそれでよかったことなんじゃないかと思う。

そうやってブログのネタにできるくらいなのであれば、それはきっと彼/彼女たちにとっては少なくともプラスの結果をもたらしている。

忙しいのなんてみんな忙しいんだ。大事なのは、その中でいかに本気でこなして本気で流してやってやるかじゃないだろうか。

仕事の忙しさの自慢はもう飽きた。そんなこと、誰の得になるのだろう。

 

 

かくいうわたくしの会社も業界が業界なので、人によっては100時間なんてゆうに超える残業時間を叩き出す。

人によっては、毎土日出勤して日に日に目の下が青くなっていく、まさに戦士がいらっしゃる。

でも、楽しそうに働いているから、まあいいんじゃないかなと思って見ていた。

(たいていは、目の下が群青色になるタイミングで長期の休みに入っていったけど)

 

 

というか、やってることに自信が持てたら、それ以外はなんでもいいんじゃないだろうか?

金はもちろん欲しいけど、最終的に自分を落ち着かせられるのはそこなんじゃなかろうか。

 

 

長く働くこと(もちろん常識的な意味で)なんて、はっきり言って問題じゃない。

物理的に量が多いというときもあるけど、大半は誰かが(そしてそれは自分であることが多い)仕事をややこしくしているだけで、そうならないように自分で仕切る必要があるのだ。

いらんもんはいらん、これはいる、と判断して声をあげても「ほほう」と思われるように、セルフブランディングを頑張ればいいだけのことだ。

上司を使って、社長を使って、会社を使って、したり顔で働いてやればいい。

あとは仕事を好きになれて、仕事に自信が持てるようになればいい。

 

 

じゃあどうだろう?と自分を振り返ると、僕は最後の自信を持つということができなかった。

いや、実際周りから見ると自信満々で鼻につくような働き方をしていたと思うのだけど、本質的な意味では自信がなかった。

俺は何をやっているのか、と。本当にやりたかったことなのか?

誰を幸せにしているんだ?

いつの間にか、僕は金稼ぎだけを目的にしてしまっていた。

あれ、そうだったっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

序章と銘打った以上、今日は存分にぶった切って終わりにしてやろうと思う。

ここまでは語りたいけど、このあとはいまは語りたくない。

というか、結局自分語りになってしまっていることに驚きを隠せない。

 

 

言いたいことは、もっと正直に生きてやろう、ということだ。

感覚に対してもっと正直であろう。押し殺す必要なんてないのだから。

 

それを忘れそうな時には、「禅脳思考」を読むといいと思う。

禅脳思考

禅脳思考

 

別に広告をしたいわけじゃなくて、純粋にすっと落ちてくるから。

ミスチル名もなき詩が流れた。意味はないけど。

 

 

 

 

とまあ、今日はこんなところで。

ついに、明日は沈黙の12日間を破る日なのだ。

 

 

玄関の向こう側へ、いざ行かん。

 

 

おしまい