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ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

眠気をさそう雨を越えれば

今週のお題「夏支度」

 

 

若さとは、酒に酔って大声をあげることだ。

楽しかろうが、怒りにみちていようが、それは若さでしかない。

 

そして、それは夏の始まりを告げる。

若者が若さを外界に対してぶちまけるのは、いつだって夏場だと決まっている。

 

 

僕もよく、夏には川べりで仲間と酒をのんではギャーギャー叫んでいた。

当時の僕は叫ばずにはいられなかったし、それは仲間たちも皆同じだった。

いうまでもなく僕らは抑圧されていたし、押しつぶされそうな不安の中では大声で希望を語るしかなかったのだから。

 

きらめく東京の光を眺め、それが単にマンションの光であったことに気がついても夢を語ることをやめない。

そうやって、僕らは大人になってきた。

 

 

夏の川で思い出されるのは他にもある。

THE学園もののわかりやすいものではないけど、実践的社会学みたいな高校の体育祭練習もおなじような時期だった。

あれは、どちらかというと若さに酔った末の単なる馬鹿騒ぎであったかもしれないし、今になって思えば悪態をつく人がいたことも理解ができる。

当時の僕にとってはそれが高校生活の全てで、それを語った後に残るのは学食で食べた甘いカツ丼の味ぐらいなものだ。

 

 

完全に調子に乗っていた当時の僕が、人のアツい想いとかこだわりだとか、

仲間たちの本質的な心の部分に触れるために準備をはじめなければならなかったのがまさに夏の始まりだった。

 

くそほども面白くない冗談を両手いっぱいに抱えて、ひょうきんな気のいい兄ちゃんを演じ始めることがまさに夏の始まりだった。

 

 

 

ひょうきんな気のいい兄ちゃんを演じるのは、いまも変わらない。

額に汗を滲ませて、着古したスーツにも湿った臭いがこびりついている。

面白くもない冗談に笑い転げて、自分に嘘をついているのも夏の醍醐味だったかもしれない。

もうそんなものにもおさらばしてしまうのだけど、いままでのものはどんな風に僕の目にうつるのだろうか。

くだらなかろうが、さよならをいうのも夏の始まりだ。

 

 

 

もう一つ、これでくだらない戯言も最後にするけど、夏の始まりといえば必ず思い出すことがある。

 

中学生のときのこと。

幼稚園からの親友と、部活からの帰り道を歩いていたとき。

 

爽やかな夏の風が吹き始めて、塩っぽい腕や首筋をひんやりと撫ででいった。

 

ぼんやりと坂道の下を眺めやって、昨日も明日も明後日も同じように毎日が過ぎ去っていくのかなと大人ぶって考えていたときに、

毎度のことながら僕の親友は叫び声をあげた。

 

 

「なんかスースーすると思ってたら、ち◯こでてた!」

 

 

彼は生ける伝説だ。

小学校の頃の彼の夢は、グレートジャンボゴリラくん。

厳しいコーチの怒号が飛ぶ中、練習中におにぎりをむさぼりくっていた男。

何もかもがギャグでできていた、そんな男だった。

 

 

僕にとって、夏の支度といえば、

チャックはおろか、下着の間からよからぬものが飛び出していやしないか毎朝確認することだ。

 

ある意味、そうであってほしいと思いながら。

最高の親友を思い出しながら。

 

 

 

 

 

ちなみに彼は死んではいない。

 地元で元気に暮らしています。

 

 

おしまい