ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

「なろうと思わなきゃ、何にもなれないよ」という、どこまでも優しいコトバ

ちょっと感傷的で落ち着かない気分になったので、昔懐かしいお話をひとつ。

 

ちょうど大学3年生だったかいつだか、僕はとてつもなく広告フリークだった。
たいていの業界人たちが欧米人よろしく眉をひそめる”広告オタク”といおうか、
誰が何のCMをつくっているだとかを言い当てる、そういうちょっぴし気持ち悪い類の趣味を持っていた。

 

そんな当時の僕には(いってみれば今もかもしれないけど)、ACの広告が輝いて見えていた。作品としての広告を愛でて、こんな広告を自分も作れたらどんなに気持ちが良いんだろう。と、青二才よろしく夢を見ていたのである。

 

なかでも、ひときわ僕の心を掴んで離さない広告があった。
NTT東日本の「父と子」篇がそいつだ。

 

何の変哲もない、父と野球少年の息子のお話。
Mr.Childrenの「365日」が流れるからか、一回テレビでみてから何度もYoutubeでリピートしては涙を貯める、それほど大好きなCMだった。

 

何がよかったかって、田中哲司のお父さんぷりだ。
野球がへたくそな息子に「イチローになれるだろうか」と問われ、
そいつはわかんねーや、と一度は突き放す。
しかし、間髪いれずにこのコトバ。

 

「なろうと思わなきゃ、何にもなれないよ」

 

なんたる父性。なんたる優しさの深淵。
これで、僕のこじれた職業観がいよいよ取り返しがつかないぐらいによじれ始める。
これが、こういうメッセージが、自分の求めてきたものなんだ。

 

 

この言葉がすごく響いたのは、たぶん自分自身何になりたいか、と強く考えていた時期だからだろう。

やりたいことも、なりたいものも特段ないけど、誰かのことを少しだけ幸せにできたり、自分がいたことが誰かにとってプラスになったり、いわゆる誰かの小説に名前が載るような人間になりたい。
でもなれるのかな?どうしたらいいんだろう?

「なろうと思わなきゃ、何にもなれないよ。」

とまあ、こんな具合に僕の心にグッと響いた。

 

 

そんな折、大学の講演会かなんかである運命的な出会いを遂げる。
なんと、「父と子」篇のCDをつとめたその本人がくるという。


運命ってあるんだなと思った。その時に運命について本気で考えた。
僕はポジティブだから、たぶん、そういうことなんだと思っていた。

 

 

散々憧れてきたモノをつくったその人がくる。そしてその講演をきける。

内容は置いておいて、興奮に興奮を重ねた僕は講演が終わったあとに彼を追いかけた。

 

 

あのCM、感動しました。あなたの元で働きたいです。

おこがましいですけど、一緒に働かせてください。

 

 

彼の言葉は優しかった。

 

 

広告代理店で自分の広告をつくっておいで。

それを、俺のところにもってこい。

話はそれからだ。

 

 

そして、彼は名刺を一枚僕に渡し、静かに去って行ったのだ。

こんなかっこいいアラフィフのオヤジがいるもんかと驚いた。
たぶん、人生であった大人のなかで彼ほどカッコイイオヤジはいない。

 



 

そして、季節は過ぎた。

僕はいま、あらたな岐路にたっている。

そう、自分の広告をひっさげて、彼の名刺を左手に握りしめて。

 

 

 

 

 

 

 

ということだったら、すげえカッコイイな自分。

事実はそうもうまくはいかないけど、僕は改めてなりたい自分を整理して、なりたい自分へ近づこうとしている。

広告はつくらなかったし、なろうと思っていたものもどこかで置いてきてしまったけど、もう一回、何度でも、自分はスタートし直せるもんだ。

 

 

「なろうと思わなきゃ、何にもなれないよ。」

大学生の青かった自分が、こっそり耳打ちをしてきている。

 

 

カタチなんてなんでもいいんだ。

 

なろうと思えば、なんでもなれる。

つまり、そういうものだ。

 



 

と、書き上げるのに3日もかかった。
なんとまあ。なんとまあ、よ。

 

おしまい