理想と現実の真ん中で
どうやら、人は分かり合えない。分かり合えたフリはするけれど。
タクシーの運転手と会話して、僕はどれだけ自分目線で物事を語っていたかを思い知らされた。
今日はそんなお話。
熱帯夜だ。人民よコックローチに気をつけろ
はっきり言って衝撃だ。
毎晩僕はタクシーで帰宅する。
疲れた体を労わるために、明日を乗り越えるために、30分の徒歩の旅を短縮するために。
それだけ乗っていれば、たいていのタクシー運転手は顔見知りになる。
電車でみかけても、たぶん"◯◯交通の人だ"と思えるくらい。
つまり、それだけ僕は彼らとお近づきになっていたように思っていた。
そんな中で、いつものように僕はタクシーに乗り込んだ。
…丸山さん(仮称)だ。
聞くところによると、御歳70歳とのこと。肩が冷えるために、こんな真夏の夜でもピシッとしたスーツをきて乗客を送り届けていく。
どうして働くのか、そんな野暮なことは聞かなくてもいい。彼はただ人を乗せていく。
そういうものだ。
コンビニの手前を右に曲がる信号で、丸山さんは口を開いた。
「火事ですね」
見れば、そこには一台の消防車が止まっていた。
「火事ですかね」
無難にも僕は答えた。
今日はどこか違う雰囲気がする。そう思っていたのも束の間、丸山さんはベラベラと喋り始めた。
火事はどうだの、やれ野次馬がどうだの、戻ってみてたら自分も愉快犯に思われるだの。
今日は喋りたい日だ。直感的にそう感じた。
そうですね、なるほど。
あー、たしかに。
これは僕の常套句。
正直に言えば、疲れから黙っていたいと思う方が強かった。
とはいえ、一端の営業マンを語る僕も、こういうところで話術をつけなければ。
以下、会話。
(M=僕、○=丸山さん)
M
「最近多いですよね、火事も。
(よく知らない)
あつくなってきたし、変な人も多いんですかね。
(なんとなく)」
○
「今日は特にあついですね、35度も超えてますしね!!今日も熱帯夜みたいですね。」
M
「ですよね〜
さっき、ゴキブリ2匹もみましたよ!けっこうは大きいの。
熱帯夜はいやですね。」
○
「え?なんですか?」
M
「いや、ゴキブリみたんですよ。2匹。
熱帯夜のほうが出やすいっていいますもんね…いいますよね?」
○
「ああ、熱帯夜でしょ?今日も29度あるみたいですしね。」
M
「え、あ、はい。いやですね〜。
(聞いてないのかな?)
でも、大変ですね。こんな暑いのにスーツも着なきゃいけなくて。」
○
「え?」
M
「かっちりしてるから、、、暑そうで大変ですね。」
○
「着なきゃいけないことはないんです。そんな規定もないですし。タクシーはなんでもいいんです。」
M
「は、はあ。そうなんですね〜。」
(このあと、丸山さんが肩が冷えるからスーツを着ていることを知る)
たぶん、たぶんだけど、この人の頭の中には「熱帯夜=ゴキブリ」ではなかった。
そして、「タクシー=かっちりスーツ」は、僕の頭の中だけのことだった。
こんなにも、人のことを考えるべき仕事についているのに、ものすごく小さなところで認識のズレに気づけていなかった。
人々は分かり合えたフリで、いつもズレながら生きている。
ベタすぎるけど、ほんと毎日変なところで大きなことに気がつかされる。
毎日勉強とはよくいったものだ。
そんなことを思いながら眠りについた。
今日はなにに気がつくんだろう。
おしまい