ライ麦畑の向こう側

解体新書と備忘録です。

何かがほんのちょっと見えた話

冷静になって俯瞰してみると、たいてい失っていた自信を取り戻すことが出来る。
つまり、そういうものだ。


つい最近まで、自分自身のことについて色々と悩んでいて、柄にもなく「もうダメかもしれない」という迷いが入ったり出たりを繰り返していた。

この年になると気がつくことがいっぱいあって、たぶん自分は想像以上に承認欲求が凄まじいらしい。

もうダメだの根本は"八方塞がり"が原因で、それを戻したのが承認だったのだ。
謙虚や素直さはプラスでも、ある意味諸刃の剣になるときもある。


でも、昨日のこと。
あまりの暑さにぼーっとして、大事な場面で宙に浮いた気持ちになっていた。

そこには、3人と1人と鳥1匹。
話はおして、そして引き返す。3回ほど繰り返して、しびれを切らした鳥はうんざりしながら(足で小突かれながら)、べらべらと喋り倒した。
もうその場から離れたくて、べらべら喋りつくして、ついに小突かれて3人と1人になった。

でも、その独白は少なくとも自分にとっての大きな力となった。そこにいて、すべてをリードしていたのは間違いなく自分だった。

批判を恐れずに言うならば、たとえ相手が誰であれ、バカでもあほでも合ってるときは合っている。
つまり、そういうものだ。

だから、どんなに終わった後に色々いわれようと「だからなんや」と付きはねられていた。

のめり込めば、たぶんなにもわからなかったけど、すべてを見透かしてたのは間違いなく自分で、あとからの言葉はすべて威厳を取り繕うための言葉遊びに過ぎない。

謙虚さも素直さも全てとっぱらって思うのは、負けない部分も十分持ち合わせてるわ、ということ。

オールマイティじゃなくて、細かいところでも勝っていけばいい。
そんなことを思った日だった。


相も変わらず、金夜の渋谷は4割型吐瀉物でできていた。
それが気持ちいいうちには、自分もまだまだ健康的だ。

おしまい