才能への嫉妬
ふとした瞬間に、「ああ、負けたわ」と思う時がある。
勝負はいつでも勝手に始まって、そして勝手に終わっていくのだ。
そんな体験にまたしても、そしていきなり遭遇してしまった。
今日はそんな、なんとも言えない甘酸っぱいお話。
そう、題して
成功者はいつでも"一言で"語っていた
前回の宣言通り、これから書こうと思っているのは「あ、このタイトルの付け方PRっぽいな」と思った、まさにそのことについてだ。
先日、僕はある本で「企画は、一言で語れるものであれ」という訓示を受けた。
ちょうどその前に読んでいた本にも似たようなことが書いてあり、人に伝わるものはいつも至ってシンプルなものだけなんだ、と打ちのめされていた。
そこは、常に"Think Simple"な世界なのだ。
さて、思い返してみれば確かに世の中で流行るものは一言で語れてしまう。
それは、研ぎ澄まされて研ぎ澄まされて、気づいたらダイヤモンドになっていた、てなイメージなんじゃないかと思う。
半永久的に人々の意識から出て行かないであろうものは、出て生きようがないぐらいにシンプルなのだ。
僕が最も気をつけなくてはならないもの。ややこしくせずに、一言で言い切ること。そんなことを学んだ気がする。
(既にこんな記事を書いている時点で、打ちたてた信条を破りつつあるのだが。)
そして、そんな矢先に懐かしのドラえもんである。
当たり前に読んでいたから気づかなかったけど、このマンガはやっぱり面白い。あっちゃこっちゃいかずに、ストレートに「スパン!」と話が進んでいく。
先見性溢れる話はもちろん、一話完結であの量をかきあげる、アイディアマンたる藤子先生にただただ脱帽するばかりだ。
紙をめくる中で、なんとなしに一話一話につけられるタイトルが気になった。
そこに並ぶタイトル達が、やはり一言でひみつ道具を語っていたからだ。
- 「しゅみの日曜農業セット」は、"タタミのたんぼ"みたいにどこでも田んぼにできる
- 「タイムマシン」は"ぼくを、ぼくの先生に"できるぐらいに時空間を行き来できる
- 「フエルミラー」は"かがみの中ののび太"も増やせてしまう
- 「音楽いも」はおならが"メロディーガス"になってしまう
等々…
もちろんそうじゃないのもあるが、大抵のものは一言で「ほほう」と思わせるタイトルだ。
どうやら、結局はここに帰結するらしい。
「あ、このタイトルの付け方PRっぽいな」と思ったそれは、やはり長年世代を超えて愛されるものだった。
漫画家は、やっぱりすごいんだ。
ああ、負けたわ。
僕らはいつだって、思いもよらぬところで打ち負かされる。
それが健全で、気持ちいいからいいんだろうけど、すべての面白いものは一言で語られることをこうも見せつけられてしまうと、なんとも冗長な自分を呪いたくなるものだ。
シンプルに考えることで、どこまで自分は変われるものだろう。
そんな終わることのない勝負は、まだまだ始まったばかりなのだと改めて認識させられた。
そして、まとまりのなさが、まだまだ足りない部分を象徴している。
もっといろんなモノを読むかな。
すぐに、きっとシンプル思考を手に入れる。
おしまい